当ページ最終更新日:2000.7.12

ドミ共国旗
 中央に国の紋章を配した白十字、右上と左下は赤、左上と右下に紺を使っている。紺は平和を願う心、赤は戦場で流された愛国者たちの血、そして白十字はキリスト教への信仰を象徴している。

|略史|人種|言語|気候|食事|産業|経済|政治|宗教|教育|文化||外交|援助|

略史
 1492年コロンブスがその初めての航海でエスパニョーラ島に到達*1)、スペイン領となる。
 1795年フランス領、1822年ハイチによる占領を経て1844年独立、ペドロ・サンタアナが初代大統領に就任した。
 しかし、その後もハイチの侵略が続き、1861年にはスペインに再占領されたが、1865年スペインが撤退、独立を回復した。
 1916〜24年米国が占領。
 1930年ラファエル・トゥルヒージョが大統領に就任、1960年ホアキン・バラゲル副大統領に大統領職を譲ったが、翌61年に暗殺されるまで事実上の独裁制を敷く。
 1965年内戦に突入、米軍の介入を受けたが、国連および米州機構(OAS)の調停で統一暫定政権が成立。
 1966〜78年、改革党のバラゲルが政権を担当。
 1978年の大統領選でドミニカ革命党(PRD)のアントニオ・グスマンバラゲルの4戦を阻み当選した。
 バラゲルは1986年大統領選で返り咲き、1990、94年と連続3選を果たしたが、不正選挙との批判を浴び、国会は94年8月、大統領の連続再選禁止と現職の任期を96年8月までとする憲法改正案を可決。バラゲル政権は同月、通算22年で幕を閉じた。
 1996年6月30日の大統領選挙決戦投票でドミニカ解放党(PLD)のレオネル・フェルナンデス・レイナが、バラゲルの支持を取り付け当選した。
 2000年5月16日の大統領選挙でドミニカ革命党(PRD)のイポリト・メヒアが過半数近くの票を獲得し当選した。(この結果に至るまでの経緯は、下記「政治」欄を参照)

1) この事実に基づき、1992年、ドミニカ共和国政府は、ローマ教皇招聘、サント・ドミンゴ旧市街の整備、2,500万ドルを投入した「コロンブス燈台」建設等、新大陸「発見」500周年を記念する大規模なキャンペーンを展開した。しかしながら祝賀ムードに包まれた場所が存在する一方、国民の間では「コロンブスの到来は新大陸の悲劇の始まり」とする歴史認識も根強く、記念事業に反対する大規模なデモが各地で発生した。

人種
 人種構成はムラート*1):73%、白人:16%、黒人:11% となっており、人々の膚の色は極めてバラエティに富んでいる。
 このように混血が圧倒的に多い人種構成はプエルト・リコやキューバなど旧スペイン植民地に共通したもので、黒人の比率が高い旧フランス領や旧イギリス領であったカリブ海諸国の人種構成と比較すると際立った対照をみせている。
 スペイン人の征服により、ルカヨタイノガヨおよびカリベと呼ばれるインディヘナ*2)達は全て滅亡*3)し、替わりにアフリカより奴隷として黒人労働力を導入したため現在の人種比率となった。
 人口は約805万人(1996年IMF)であり、首都サント・ドミンゴには、そのうち約250万人が居住している。
 乗合バスの中で、座席乗客が立ち席の人の鞄を当然の事のように自分の膝に載せてあげるような心優しい風潮が未だ残っている。また、見知らぬ人にも笑顔を向け気軽に挨拶する屈託なき人々が多いなど、国民の多くは素朴かつ陽気である。その反面、忍従的な性質を持つとともに、一部には初対面の外国人への警戒感・不信感をあらわにする傾向も見受けられる。すでに述べた歴史的経緯のみならず、近・現代における同国の政治・宗教情勢が、これら国民性の形成に大きく影響を与えていると思料されるため、その辺の事情を後続の文章中でやや詳しく述べてゆきたい。
 アジア系人種は上で示した統計上に表われないほど少数派であるものの、中国人はスーパー・マーケットやレストランなどの経営で財を成している者も多く目立つ存在と言える。なお、同国が中華民國と外交関係を結んでいる事からか、台湾系中国人の割合も比較的高いのが特徴となっている(とは言え、マジョリティはやはり広東省・福建省出身者等大陸系である)。また、ソナ・フランカZona Franca:フリー・ゾーン)と呼ばれる経済特区に大韓民國の企業が進出しているのに伴い、韓国人ビジネスマンの活動ぶりも広く知れわたっている。さらに、海洋国家ゆえ外国船が頻繁に寄港するため、港湾地区付近の繁華街や歓楽街ではフィリピン人船員の集団を見掛ける事が多い。その他、レバノン人とシリア人を中心としたアラブ人も移住しており、政財界へ積極的に進出している。なお、日本人は、同国においては希少な存在と見られている。

1) Mulato:白人と黒人の混血
2) Indígena:先住民
3) 征服民がインディヘナに対し如何なる行為を行ったのかは、当時のドミニコ会従軍司祭であったスペイン人ラス・カサスBartolomé de Las Casas)の著作である『インディアスの破壊についての簡潔な報告(Brevísima relación de la destrucción de Indias)』(岩波文庫)などを参照されたい。
なお、バチカンは2000年3月7日、「過去に行ってきた暴力による改宗は過ちであり悔い改める」とする公文書をカトリック史上初めて発表した。

言語
 公用語はスペイン語である。米国が地理的に近いうえ文化面でもその影響を強く受けているわりには、英語の普及率は総じて低い。官公庁や大学、外資系企業、高級ホテル、銀行、観光地など一部の場所を除くと(例えば小さな商店のみならず大規模なショッピング・センター内ですら)英語は通じない*1)と考えてよいだろう。従って、観光旅行など一時的な滞在なら問題無いのであるが、同国で日常生活を送るにはスペイン語の習得が必要である。

1) 但し、東部のサマナ(Samaná)及びサン・ペドロ・デ・マコリス(San Pedro de Macorís)両地域では、1825年のハイチ占領下に米国南部より入植した解放奴隷の子孫の一部の間で今でも英語が話されている。

気候
 サント・ドミンゴ市を例にとると、亜熱帯海洋性気候のため年間を通じて最高気温は30℃以上、最低気温は20℃程度であり、年間平均気温は26℃である。
 四季の区別は判然としないが、5月〜10月の間が最も暑く、特に直射日光は強い(とはいえ、そよ風が吹いている事が多く、無風状態が一日中続く真夏の東京などと比較すると日陰などでは涼しささえ感じる事も多い)。但し、一部のオフィスや高速バスの中では極端なまでに冷房を効かせているため、意外にもカーディガンやセーターは必需品である。
 11月〜4月の間は日中の暑さに比し、夜間は若干温度が下がり、特に11月〜2月の間は日本の初秋を想わせ比較的凌ぎやすい*1)
 湿度は年間を通じ高く、平均80.4%である。5月〜6月及び9月〜11月は雨季であり、7月〜9月には時折ハリケーンが来襲する。1998年9月22日、約20年ぶりの規模といわれる超大型ハリケーン=ジョージが来襲し、激しい風雨に見舞われ各地で家屋の倒壊、送配電網の破壊、給配水網への被害、道路等インフラ及び通信網への被害を受けるとともに、農作物にも甚大な被害が出た事は記憶に新しい。
 なお、山間部は盛夏にあっても涼しいところが多く、とりわけピコ・ドゥアルテ頂上付近では、冬になると氷柱【つらら】ができる程である。

1) このWebサイトを作成している1999年末〜2000年始めにかけて、同国は記録的な寒波に襲われており、夜間や朝方は「涼しい」を通り越し「寒い」ほどである(但し、晴天の日中などは、相変わらず暑いのであるが)。

食事
 主食はArroz)と食用バナナPlátano)である。前者(長粒米)にはアビチュエラHabichuela:いんげん豆)を塩味で煮込んだ豆汁をかけて食するのが基本だ。このアビチュエラには、ネグラ(Negra:黒)、ブランカ(Blanca:白)、ロハ(Roja:赤)、ピンタ(Pinta:斑(まだら))などの種類がある。米を使った料理としては、他にとうもろこし混ぜご飯Arroz con maíz)や豆入りご飯Moro)などがある。Moroの材料となる豆は、アビチュエラの他にグァンドゥGuandú)がある。
 なお、後者はバナナといっても、果物として生のまま食べるものとは種類が違い煮・揚げ等の調理用である。
 副食はPollo)肉料理(美味である)が主流となっているが、Res)やCerdo)、子やぎChivo)などの肉料理もポピュラーである。海洋国家の割には、今のところPescado)料理の普及率は高くない。野菜(Vegetales)類に関しては、ブロッコリーBróculi)やカリフラワーColiflor)とともにキャベツRepollo)を煮たものや、なすBerejena)の詰め物、塩味で煮たオクラMolondron)、レタスLechuga)とトマトTomate)に玉ねぎCebolla)を添えた生野菜サラダ*1)等が一般的である。また、芋類はじゃがいもPapa)、さつまいもBatata)の他、ジュカYuca:キャッサバ)、ニャーメÑame:山芋)、ジャウティアYautía:里芋の一種)など種類は多い。このジャウティアには、ブランカ(Blanca:白)、アマリージャ(Amarilla:黄)、ココ(Coco:白と赤紫の斑)などの種類がある。根菜類としては、かぶNabo)を煮て食べたりビートRemolacha:紫色の砂糖大根(=甜菜【てんさい】))を薄く切りサラダに入れる他、にんじんZanahoria)は、肉やかぼちゃCalabaza又はAuyama)、食用バナナ、ジュカ、ジャウティアなどともに、当地の人気料理サンコーチョSancocho:ラテン・アメリカ風シチュー)の材料となる。
 デザートは果物が中心である。オレンジNaranja*2)パイナップルPiña)、バナナGuineo)、パパイヤLechosa)、マンゴーMango)、りんごManzana)、メロンMelón)、みかんMandarina)、いちじくHigo)などを食する。また、一般に野菜扱いであるが、アボカドAguacate)も人気がある。専ら生ジュース(Jugo natural)の材料となる果物としては、レモンLimón)やグレープフルーツToronja)、チノーラChinola)、グァバGuayaba)、さくらんぼCereza)、サポーテZapote)などがあり、オレンジ又はレモンを加えたにんじんジュースやタマリンドTamarindo)という豆から作ったジュースもポピュラーである。また、街中では7ペソ(約50円)前後でココナッツCoco)を販売しており、その場で内部の水を飲んだり果肉を食べることができる。その他、グアナバナGuanabana:トゲバンレイシ)など日本では余り見かけない果物が豊富に出まわっている。
 先に述べたように米が主食であるなど同国の食事は和食と共通する点も有り、日本人には親しみやすく美味しい。一方で、「量が多い」「油っぽい」「(ジュースや菓子類などは)過度に甘い*3)」といった感想を抱く在留邦人も多いようである。また、しょうがJengibre)を隠し味にした料理が若干有る以外は、辛料を使用する料理が皆無に等しく(香料*4)は普及している)、辛党にはやや物足りない面もある。
 以上は、庶民が日常食べているものの解説であるが、街中やホテル内には、中華料理を始めとして、スペイン料理イタリア料理フランス料理アラブ料理韓国料理など世界各国のレストランがある他、同国系のポジョス・ビクトリーナPollos Victorina)やポジョ・レイPollo Rey)、米国系のマクドナルドMcDonal's)やケンタッキー・フライドチキンKentucky fried chicken)、バーガー・キングBurger King)、ウェンディーズWendy's)、ピザ・ハットPizza Hut)、ダンキン・ドーナッツDunkin' Donuts)、タコ・ベルTaco Bell)、サブ・ウェイSubway:サンドイッチ店)などのファースト・フード店もポピュラーである。また、同国系のエラドス・ボンHelados Bon)や欧米系のサーティン・ワンBaskin Robins 13)、ハーゲン・ダッツHäagen Dazs)、デイリー・クィーンDairy Queen)、ネッスルNestlé)、ヨーゲン・フルーツYogen Früz)などといったアイスクリームHelado)販売店が数多く存在している。
 日本食に関しては、専門レストランが2軒あるとともに、寿司刺身うどんなどを出す中華レストラン等も複数軒存在する。
 なお、同国においては一日を通して3食のうち昼食(Almuerzo)がメインであり、朝食(Desayuno)はコーヒーCafé*5)牛乳Leche)・生ジュースなどとともにハム入りサンドイッチSandwich de jamón)やホットドッグPerro caliente又はHot dog)、煮た食用バナナ等の軽食を取る。夕食(Cena)もフィエスタ(Fiesta:パーティー)がない限り、スパゲッティEspaguetis)などであっさりと済ませる家庭が多い。
 アルコール類に関しては、ロンRon:ラム酒)*6)の銘柄は豊富であり、それからピーニャ・コラーダPiña colada*7)クーバ・リブレCuba libre*8)など多彩なカクテルが作られる。また、何といっても、ビールCerveza*9)の人気は高く、コルマドColmado*10)等では、凍り付く寸前まで冷やしたビールを一気に喉に流し込んでいる人々を見掛ける事も多い。

1) Ensalada de lechuga y tomate con cebolla。輪切りのきゅうりPepino:日本のものよりやや大きめ)やバイニータVainita:莢いんげん)を添える場合もある。なお、食堂やカフェテリア、レストランでは、単に"Ensalada verde"(グリーン・サラダ)と注文すればよい。
2) 同国を含め西インド諸島各国では、オレンジを昔の原産国名である"China"(チーナ:中国)と呼称する人々が多い。
3) 一般に、オフィス等で出されるコーヒーには最初から大量の砂糖が入っている。それどころか、オレンジ・ジュースJugo de naranja)にさえ砂糖を加えるのがドミニカ流だ。従って、甘いものが苦手な向きがこれらを注文するときには、"sin azúcar"「砂糖抜きで」と一言付け加えるのが無難である。
4) 例えば、上記のアビチュエラの豆汁にはシラントロCilantro:コエンドロ ※同国では、単にベルドゥーラVerdura:野菜)と呼称した方が通りが良い)と呼ばれるハーブを入れる。また、アイスクリームやケーキのみならず、パパイヤ・ジュース等には、バニラVainilla)を添加し、味と香りを引き立てる。
5) 同国のコーヒーは濃く、香り高く非常に美味である。実際、日本でジャマイカ産と称して出回っているコーヒーのうち高級種はドミニカ産が多い。グレカGreca)と呼ばれるエスプレッソ・コーヒー・メーカーで作る。
6) さとうきびCaña)の蔗糖蜜【しょとうみつ】を発酵させて作る蒸留酒。
7) ロンにココナツ・ミルク、パイナップル・ジュースを加えシェイクしたもの。
8) ロンをコーラで割ったもの。その名も「自由キューバ」である。
9) プレシデンテPresidente:大統領)ブランドが一番人気だ。なお、注文の際は店員にたいし"Una fría, por favor":「冷えたのを一本よろしく」と申し向けるのが通である。ところで、プエルト・リコから伝来し、今やすっかり国民的人気食となったモフォンゴMofongo)という食べ物がある。これは、上記食用バナナにお好みの肉を入れ、にんにくAjo)とともに、癒瘡木【ゆそうぼく】(Guayacán)製の臼(Pilón)で砕き混ぜたうえ固め、秘伝のソースSalsa)を掛けて食べるものだ。最初のうちは「形容し難い味」としか言いようがない一品であるが、舌が慣れてくると、これがビールのつまみとしてもなかなかいける事を付記しておきたい。
10) 万屋【よろずや】的小規模小売店のこと。ドミニカ版コンビニエンス・ストアと考えればよい。国中至る所にあり、酒や食料品だけではなく日用品など生活に関わるものはおよそ何でも売っている。店の前に椅子が用意され飲み屋代わりになっている所が多く、それどころかダンス・ホールのようになっている場所も珍しくはない。

産業
 サトウキビを中心にコーヒー、カカオ、たばこなどの栽培を主体とした農業とフェロニッケル、金・銀などの鉱業が主要産業であるが、近年、軽工業*1)観光業*2)にも力を入れている。今のところ日本では余り知られていないが、コロンブス時代の遺跡や美しい浜辺海岸大河秘境、山間部の避暑地、3千m級の山岳地帯、サボテンの生い茂る砂漠など同国には多彩な観光スポットが存在する*3)。それだけではなく、ゴルフウィンド・サーフィンの国際的な公式戦が行われるようなスポーツ・コースも揃っており、欧米人の間では、「カリブ海域のリゾート」と言えばドミニカ共和国が最もポピュラーな存在である。マイアミから約1時間50分、ニュー・ヨークから約3時間15分という交通の至便性*4)や、中米に位置する割には治安が良いことを考えあわせると、日本の多くの観光・旅行業者が同国を見逃している様は不思議ですらある。
 また、建設業はGDP比で9.5%(1995年)を占める主要産業であり、道路(高架橋やトンネル等を含む)やビル、住宅の建設ラッシュが続いている。
 さらに、商業は、GDP比で18.5%(1995年)を占め、製造業を上回り国内最大の産業となった。主な形態としては、卸売業者、スーパーマーケット、一般小売商*5)、コルマド(上記「食事」欄で既に述べた)などがある。

1) その内訳は、精糖を中心とした食品/たばこ加工業(約5割)、非金属工業(約3割)、衣料・皮革・靴製造業(約1割)となっている。上記「人種」欄で既に述べたソナ・フランカでは、税制上の優遇措置と、豊富で安価な労働力に加えて、比較的効率のよい輸送システムが利用できるため、米国・カナダをはじめ、韓国・台湾などの労働集約型産業が進出している。なお、ソナ・フランカにおける主要業種は、縫製、製靴、皮革加工、電子機器製造等で、輸出の9割が米国市場向けのものである。
2) 同国政府は、観光分野のポテンシャルを強調した1967年の国連開発計画(UNDP)の調査報告書を受けて、1971年に観光開発法を制定し、投資ガイドラインとホテルを誘致するための様々な優遇政策(10年間の無税措置、観光施設の設営・運営に関する資機材に対する無税措置等からなる)を発表した。また、民間投資に先行して、実施機関INFRATURを通じて、国際空港、公共施設、ホテル等の建設を世銀融資等を得て推進した。
3) 同国はこのように極めて変化に富んだ地勢を有しているため、(ある程度住んでみて初めて分ることであるが)狭隘な国土という実感はまるで無いと言える。
4) 日本−ドミニカ間の正規航空運賃は比較的高価であるが、当然の事ながら格安チケットは入手可能である。年末・年始など一部の時期を避ければ、通常は7万円前後、ときには5〜6万円台の往復チケットが出回る事もあるようだ。いずれにせよ、直行便は無く、乗り換え時にニュー・ヨークかマイアミで必ず一泊するため、その間のホテル代を別途見ておく必要がある。
5) 衣料品や電化製品などを取り揃えたショッピング・センターを同国では一般にプラサPlaza:広場)と呼称している(例:Plaza CentralUnicentro PlazaPlaza NacoPlaza Lama など)。

経済
 高い失業率貧富の差の拡大が社会問題となっているものの、96年には中南米随一の成長率を達成するとともにインフレも収束するなど経済成長は順調に推移している。ここ数年来の急激な発展ぶりから、現在は一見ミニ・バブル状態にあるようにさえ見えるほどである。
 さらに、同国は南北アメリカの中心部に位置し交通の便が良い事や、ある種の全方位外交を展開している事などから、対キューバ貿易等を狙ったビジネスマンが世界中から集結しており、街中は活況を呈している。
 一方、物資が満ち溢れ近代的な都心部の風景とはうらはらに、住宅街はもとより主要オフィス街においてすら停電が頻発したり、地域によっては毎日のように給水制限が行われているなど、経済や社会活動の基盤となるインフラストラクチャーに多くの課題を抱えている他、料金が高い*1)ばかりで信頼性の低い*2)郵便制度や一電話会社が事実上シェアを独占しており、当該分野において競争原理が働かず、その結果問題の改善が先送りされている事からくる各種の弊害*3)が存在するなど通信分野でも早急な改善が求められている。

1) 1994年に、最高で700%までの大幅料金値上げが実施された。
2) 但し、このところ徐々に正常化が図られ始めているようである。
3) 例えば、現時点で以下のような例をあげることができる。
不安定なインターネット接続状態。いたずらに契約数を増やすのみで、バックボーン回線容量増大等の設備拡充を怠っているものと思われる。 ※ 同国では、基本的に電話会社がインターネット・プロバイダを兼ねている。(但し、独立系プロバイダも急速に台頭しつつある)

政治
 政体は「立憲共和制(大統領制民主主義)」である。現行憲法(1966年11月28日制定)は、ドミニカ共和国を三権分立の共和国と規定している。大統領・副大統領(同一政党)及び国会の上下両院議員などは、4年毎の5月16日に同時に行われる国民(18歳以上)の直接選挙により選出される。任期は4年である。
 大統領は、国家元首であるとともに、行政府の首班であり任意に大臣を替え得る。また、三軍の最高司令官であり(統合幕僚会議及び陸・海・空各幕僚長が補佐する)、州知事任命権を持つ。国会の審議を経ずに公共投資を行える大統領特別会計に基づき多額の資本支出を行い得る。通常、党首として選挙の際に比例代表制による党下院議員候補と各州一人の党上院議員候補の選出を左右する。上院を通じ裁判所判事任命をも左右し得る。公務員の人事権も持つ。
 このように、同国の大統領は非常に強大な権限を有しているため、政権交替がそのまま国家公務員や公団職員の交替につながりかねないという問題も指摘されている。
《 ドミニカ共和国の政体 》
                          ・PRESIDENTE
                          ・VICEPRESIDENTE
                          ・SECRETARIOS DE ESTADO
                          ・DIRECTORES GENERALES
                          ・PROCURADOR GENERAL DE LA REPUBLICA
                          行政(EJECUTIVO)
                          /\
                        /    \
                      /        \
    (LEGISLATIVO)立法―――――司法(JUDICIAL)
     ・SENADO                    ・CONSEJO NACIONAL DE LA MAGISTRA
     ・CAMARA DE DIPUTADOS       ・SUPREMA CORTE DE JUSTICIA
                                 ・CORTE DE APELACION
                                 ・PRIMERA INSTANCIA ...
 2000年の5月に大統領選挙が行われた。有力候補者と目されたのは、ドミニカ革命党(PRD)のイポリト・メヒア*1)ドミニカ解放党(PLD)のダニロ・メディナ*2)ならびにキリスト教社会改革党(PRSC)のホアキン・バラゲル*3)の3名であった。このうち、ホアキン・バラゲルは、上掲の「略史」に何度も登場している政治家と同一人物である。年齢はとうに90歳を越えているが、今なお同国カトリック教会に対し穏然たる影響力を持っているなど、何かと目を離せない存在*4)だ。
 ところで、米国は輸出入相手国としてトップの座を占めるなど経済的結びつきは大きいにもかかわらず、過去に軍事力を伴った内政干渉を幾度も行い、その過程で多くのドミニカ人の命を奪った事から、同国民のアメリカ政府を見る眼は非常に厳しい。それゆえ、米国に対しはっきりと「ノー」を表明し続けるキューバの故チェ・ゲバラカストロ首相の人気は高い*5)(但し、その人気は多分に心情的なものであり、キューバのような政治体制を望んでいる国民は少数派である。また、テレビ番組や映画、音楽、スポーツなど米国文化そのものの存在感は大きい)。これらの歴史的背景からか、同国民の政治への関心は相当高く、数年前から、事実上、大統領選は始まっていたとさえ言える状況であった。
 さらに、上記主力政党の他、独立革命党(PRI)*6)ドミニカ労働党(PTD)*7)労働共産党(PCT)*8)マルクス・レーニン主義共産党(PCML)*9)民主キスケジャーノ党(PQD)*10)ドミニカ人民運動(MPD)*11)などといったミニ政党も20前後存在している。国家規模を考慮に入れると、この数字は決して小さいとは言えないが、これは、憲法上でも実際上でも言論や集会の自由が充分に保障されていることのみならず、同国が政党助成制度を設け政治結社等に対し様々な優遇措置(車輌購入時に掛かる税金の免除など)を与えていることなどにも起因していよう。

1) Hipólito Mejía : El candidato presidencial del Partido Revolucionario Dominicano(PRDは中道の社会民主主義政党:1939年設立、1978年8月〜86年まで与党)
2) Danilo Medina : El candidato presidencial del Partido de la Liberación Dominicana(PLDは中道左派、設立以来マルクス主義の左派政党であったが、90年代に入り軌道修正を行い、中産階級やビジネスコミュニティーの支持獲得に成功している:1973年にPRDよりファン・ボッシュJuan Boschが分離結成。ファン・ボッシュは1963年に大統領に就任したが軍事クーデターにより亡命を余儀なくされた。1996年〜2000年まで与党。※ 但し、米国政府は、上記のような経歴をもつ同党が政権を握っている事実に対する一つの意思表示として、つい最近まで大使(Embajador)を引き揚げていた)
3) Joaquín Balaguer : Ex-presidente, el candidato presidencial del Partido Reformista Social Cristiano(PRSCは右派:1964年設立、1970年〜78年・1986〜96年まで与党)
4) 1999年7月29日にイポリトバラゲルと会談を行い、その終了後「PRDとPRSCの間に存在した敵対関係の終結」を宣言するに至った。また、その後、同党のみならず、PLDの幹部さえも競うようにバラゲル詣でを繰り返した。これは、前回(1996年)と同様、大統領選挙が決戦投票に持ち込まれた場合に同氏の支持を取り付けるため行われたものと見られる。
5) 政治に係るこのようなメンタリティは、カリブ海域の島嶼諸国だけではなく中米のほぼ全域に見られるものだ。例えば、エル・サルヴァドルのファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)やニカラグァのサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)などは、今なお国民から一定の支持を集め続けている。これら革命派へ向けられたシンパシィ(Simpatía)の形成要因は、言うまでもない事だが、一部の人々が短絡的に考えているが如き「マルキシズム(Marxismo)に基づいた階級闘争の結果」などではない。それは、長期に亘り自国民を縛ってきた独裁政権への深い反省がまず挙げられるし、歴史的に「中米など自らの支配力の及ぶ裏庭に過ぎない」と考え我が物顔で行動してきた米国へのルサンチマン(Resentimiento)と、にもかかわらず、その米国が存在しなければ自国経済が立ち行かない現実からもたらされるアンビバレント(ambivalente)な想いであろう。このメンタリティを理解する事無しに、中米人の米国に対する真意を計るのは難しい。
6) Partido Revolucionario Independiente(中道右派:1989年PRDより故ヤコブ・マフルータJacob Majuluta(右派)が分離結成。同氏が1996年3月に死去した後は中央委員会が党を運営している)
7) Partido de los Trabajadores Dominicanos(左派:1979年設立。親キューバ派)
8) Partido Comunista del Trabajo(左派:MIUCA(Movimiento Independencia, Unidad y Cambio)と称する別団体を結成)
9) Partido Comunista Marxista-Leninista(左派:旧ソ連の指導の基に設立された革命党であるが、今では親中共派でもある)
10) Partido Quisqueyano Demócrata(極右:1968年設立。なお、「キスケージャ」とはエスパニョーラ島の先住民による呼び名であり「大地の母」を意味する)
11) Movimiento Popular Dominicano(極左:「革命=貧困層の唯一の希望」(La Revolución:Unica Esperanza de los Pobres)とのスローガンを掲げている)

宗教
 住民の94%をカトリック教徒が占める旧教Católico)国家である。国民の祝日としてクリスマスをはじめ「ラス・メルセデス聖母の日」などといった旧教由来のものが制定されているのみならず、政府の重要行事で公式ミサが執り行われる他、カトリック教会は税制面でも優遇されている。ところで、何らかの国内法で正式に認定されている訳ではないにもかかわらず、ローマ教皇と独裁者トゥルヒージョとの間で結ばれた政教条約(Concordato)が未だ有効と見なされているため、このように事実上国教となっており政治権力との結びつきが強いカトリック教会であるが、一部には、そのような風潮に反省を求める動き*1)もある。同国で活動している会派は、イエズス会Jesuita)やフランシスコ修道会Franciscano)、サレジオ会Salesiano)、ベネディクト修道会Benedictino)、ドミニコ会Dominico)などである。現時点において同国カトリック界の頂点に立つのはニコラス・デ・ヘスース・ロペス・ロドリゲスNicolás de Jesús López Rodríguez*2)である。
 一方、新教Protestante)は統計上少数派ではあるが、その活発な活動ぶりから、存在感は決して小さくない。主なものに聖霊降臨派Pentecostales)や洗礼派Bautistas)、再臨派Adventistas)などがある。同国では、これら新教徒を福音派Evangélico)と呼称しており、信者達は、タバコはもとよりアルコール類は一切口にせず、またディスコ・ダンス等を世俗的とみなし忌避する事で知られ、その点、一般に現世的ライフスタイルを好む同国カトリック教徒とは著しい対照をなしている。これは、聖書に記述された内容を文字通り信じ、世の終末やキリストの再臨を積極的に待ち望む彼らの姿勢*3)から来ているものと考えられる。なお、これらの特徴は、基本的に素直でかつ熱し易い同国人の性質と親和性を有しており、その結果、福音派のシェアは徐々に拡大する傾向にある。
 また、隣国から出稼ぎにやってくるハイチ人(Haitiano)を中心にブードゥー教Vodú*4)が信仰されている他、日本の創価学会(SGI)*5)を始め、米国のモルモン教Mormones*6)エホバの証人Testigos de Jehová)、バラ十字会Rosa Cruz*7)ボストン運動Boston Movement*8)、プエルト・リコのミタ教会Iglesia de Mita en Aarón)、韓国の統一教会Iglesia de la Unificación*9)、インドのサイ・ババSai Baba*10)ハレー・クリシュナHare Krishna*11)などといった東西の諸宗教が上陸している。

1) 一例を挙げれば、「民衆とともに生きる」をスローガンに低所得層の救済活動を行っている、バラオナ(Barahona)教区の前司教マメルト・リバスMamerto Rivas)が、マスコミを通じ、教会執行部に対して種々の異議申立てを行っている事は広く知られている。
2) バチカンにおける地位は、教皇の最高顧問たる枢機卿【すうきけい】である。
3) 根底に流れるのは、シンプルなファンダメンタリズム(Fundamentalismo:原理主義、根本主義)である。米国プロテスタントの一部に見られるような、進化論教育の是非を巡って司法・立法・行政・マスコミを大々的に動かすほどの政治志向は見られない。
4) 西インド諸島の黒人の間で信仰されているアフリカ伝来の多神教。類似のものに、土着信仰とキリスト教の混成宗教であるサンテリアSantería)がある。呪術を加味した儀式を行う前者と比すると、後者は白魔術的であると言われる。
5) 創価学会インターナショナル(Soka Gakkai International
6) 末日聖徒イエス・キリスト教会(Iglesia de Jesucristo de los Santos de los Ultimos Días
7) アモールク:AMORC(Antigua y Mística Orden Rosa Cruz)とも称する。神秘主義的色彩を帯びた教義と、フリーメーソンよろしく集会所をロヒア(Logia:ロッジ)と呼ぶなど秘密結社に類似した組織形態が特徴である。
8) サント・ドミンゴ・キリストの教会(Iglesia de Cristo de Santo Domingo)と自称している。
9) 世界基督教統一神霊協会(Asociación del Espíritu Santo para la Unificación del Cristianismo Mundial):日本人信者を主体に以下のような国際機関まがいの名称を名乗り、ボランティア活動(?)を行っている模様だ。
世界平和女性連合(Federación de Mujeres por la Paz Mundial
世界平和統一家庭連合(Federación de Familias Pro-Paz y Unificación Mundial
10) サティア・サイ・オーガニゼーション(Organización Sathya Sai Baba):教祖の手のひらから金粉(?)やSEIKOの腕時計()が湧き出ずる事で知られる。
11) クリシュナ意識国際協会(Asociación Internacional para la Conciencia de Krishna

教育
 保育園(Maternal):3〜5歳児が対象)は私立のものが多数ある。幼稚園(Kinder:5〜6歳児が対象)は公・私立ともあり、就学前教育(Pre-Primaria:1年教育)は私立のみ存在している。
 初等教育(公立:Escuela、私立:Colegio)は8年間(義務教育)であり、6年間のNivel primarioと2年間のIntermedioに分かれている。中等教育(高等学校相当)は4年間となっており、Secundarioと呼ばれる。高等学校には普通科高校(公立:Bachillerato、私立:Colegio)の他、技術専門学校(Escuela Técnica)、商業〔実業〕高校(Bachillerato Comercial)、各種技術専門学校(5年、Politécnico)、師範学校(Escuela Normal)などがある。
 大学は全国に32校*1)あり、そのうち国立大学としては、サント・ドミンゴ自治大学(UASD)*2)がある。その他は全て私立大学で、主なものとしては、ペドロ・エンリケ・ウレーニャ大学(UNPHU)*3)カトリカ・マドレ・イ・マエストラ大学(PUCMM)*4)サント・ドミンゴ工科大学(INTEC)*5)および東部中央大学*6)などがある。またAPEC大学(UNAPEC)*7)は市民のイニシアティブで設立された高等教育機関として著名である。
 さらに、工作機械、自動車整備、パン製造、服飾、電気・電子機器、情報処理、木工(家具製造)、ホテル・観光業など各種の職業にかかる技術の提供を目的とした学校を運営する職業技術訓練庁(INFOTEP)*8)がある。
 同国における教育事情の顕著な特徴の一つとして、国内外のNGO(NGOに関しては後述)が、大学をはじめ、さまざまな分野に関する学校や教育機関を運営し、成果を収めている事があげられよう。
 民衆の間に英語は普及していないといった事情を先に書いたが、知識階層に的を絞れば、英語の「読み」「書き」「話し」ともこなせる人の割合は高く、高学歴を誇る結構なインテリでも英語を話す段になると尻込みしてしまう人の多い日本と比較すると興味深い。但し、都市部と農村部、富裕層と貧困層とでは教育レベルに相当な開きがあり、当国における諸問題の根源に「教育」が存在するのは明らかであるが、その背景には、行政の場において「教育」の優先度がまだまだ低い、という事情が存在する。
 なお、同国には日系人および在留邦人子弟への教育をそれぞれ目的とする日本語学校補習授業校*9)が設置されている。

1) サント・ドミンゴ市に12校、地方に4校、その他各大学の分校が全国に点在している。
2) Universidad Autónomo de Santo Domingo(1538年に創立された新大陸最古の大学である。米国ハーバード大学より長い歴史を誇る)。
3) Universidad Nacional Pedro Henriquez Ureña(1966年創立、サント・ドミンゴ市)
4) Pontificia Universidad Católica Madre y Maestra(1962年創立、サンティアゴ市)
5) Instituto Tecnológico de Santo Domingo(サント・ドミンゴ市)
6) Universidad Central del Este(1970年創立、サン・ペドロ・デ・マコリス市)
7) Universidad APEC(1965年設立、サント・ドミンゴ市、APEC:Acción Pro-Educación y Cultura, Incは、特に経済的な理由で高等教育へのアクセスが困難な人々を対象に支援活動を展開しているNGOである。国内の企業家有志により、政府の高等教育政策を補完する目的で1964年に設立された。
8) Instituto Nacional de Formación Técnico Profesional:教育文化省など他官庁からは完全に独立した国家機関である。
9) ともに外務省系である。文部省系の「日本人学校」ではない。

文化
 ドミニカ共和国といえば、ダンスが盛んである事で知られ、とりわけメレンゲMerenge*1)発祥の地として世界的に有名だ。また、地方都市では、バチャータと呼ばれる踊りがポピュラーである。この"Bachata"、西和辞典を引くと「どんちゃん騒ぎ、お祭り騒ぎ」などといった意味が記載されているものの、軽快なリズムの中に哀愁が漂う、甘美な舞曲が多い。
 また、ディスコ(Discoteca)では、キューバ発祥のサルサSalsa)を楽しむこともできる。
 このように、ダンス及びその音楽は生活に密着した存在*2)であり、同国文化の中核をなすもの*3)と言える。
 さらに、若年層を中心にラテン系のロック・ミュージックアメリカン・ポップスブリティッシュ・ロックが好まれている他、幅広い年齢層に中南米やスペインの歌手によるバラードボレロが愛聴されている。クラシック音楽愛好家は、今のところ知識人など一部に限られているが、徐々にファン層の裾野は広がりつつある。
 スポーツに関しては、何といっても野球が盛んであり、米国や日本のプロ野球におけるドミニカ人選手の活躍ぶりを見てもその片鱗はうかがえようが、同国の野球レベルは相当高い。このため、米国大リーグチームの多くが当国内に野球学校を作り、若手選手の発掘を行っている。日本の広島東洋カープもサン・ペドロ・デ・マコリス市郊外の広大な敷地内に野球アカデミーを開校しており、有望選手の育成を図っている。
 なお、都市部では地上波のみならずケーブル網が発達しており、テレビ鑑賞は最も身近な娯楽の一つといえる。音楽・スポーツ・政治対談・科学/技術紹介番組等の他、テレノベラTelenovela*4)と呼ばれるジャンルも人気である。
 また、ドミニカ近代絵画造形美術が国際的評価を得ているのは、同国民の美的センスの良さを十分に裏付けるものだ。そういった風土があるからこそ、世界的にその名を知られるデザイナー、オスカー・デ・ラ・レンタOscar de la Renta)など、芸術分野の人材が輩出されるわけである。

1) メレンゲの種類には、以下のようなものがある。
メレンゲ・モデルノMerengue moderno
リズカルなものが主流だが、さらにメロディーの美しさを重視したものもある。
メレンゲ・ティピコMerengue típico
少楽器編成で演奏される。素朴な旋律が特徴。Perico Ripiaoともいう。
メレンゲ・アパンビチャオMerengue apanbichao
やや早いテンポ(ritmo rápido)と快活な旋律(melodía alegre)が特徴。
メレンゲ・デ・サロンMerengue de salón
文字通りサロンのような広い場所でダイナミックかつ優美に踊るものである。
以上はメレンゲ・ノルマル(Merengue normal)と呼ばれるものであるが、その他に次のようなジャンルがある。
メレンハウスMerenhaus
いわゆるラップ・ミュージックの影響を受けたメレンゲである。
2) いかなる片田舎にでもディスコが設営されていると言っても過言ではない。ところで、同国人が音楽に傾ける情熱は一方【ひとかた】ならぬものがある。例えば、街道沿いの自動車関連ショップ・工場の中で最も目立つのがカー・オーディオ専門店だ。さらに、サント・ドミンゴ市には、電気機器の測定器やパーツの問屋・小売店などが並ぶ「ドミニカ共和国の秋葉原部品街」といった風情の一画(Avenida 30 de marzo)が有るのだが、そこでも幅を利かせているのが音響関係のパーツ等を置いた店である。また、巨大なスピーカーを車内に埋め込み大音量でメレンゲ等を奏でながら走行するマイカーは特に珍しい存在ではないが、一応公共交通手段であるはずの乗合タクシー(Carro público)や乗合バス(Guagua)ですら「走るディスコ」の様相を呈している(乗客乗員が踊っている訳では勿論ないが)ものが多い。もっとも、音楽好きの国民性を考慮に入れるならば、これは「公共交通機関だからこそ」行われている顧客サービスなのかもしれない。
3) このメレンゲとバチャータ、同じ国で誕生し発達したにもかかわらず、前者が2拍子、後者が4拍子とリズムが根本的に異なっており曲調も全くと言ってよいほど違う。また、バチャータとサルサは拍子こそ同じであるものの、明らかに別種の音楽である(一方、中南米の比較的広範囲で普及しているクンビアCumbia)とサルサとの間には共通項を見出すことができる)。さほど広いとは言えない地域から発生したこれらのダンス・ミュージック間の明確な相違は、音楽史のみならず文化人類学的見地からも大変に興味深いものである。
4) 主にラテン・アメリカで制作されている連続テレビ小説。(参考資料はこちらKoko2.gif
ボカ・チカ・リゾートホテル・ビーチサイドディスコ内の様子
ボカ・チカ・リゾートホテル・ビーチサイド・ディスコ内の様子>


日の丸

外交
 1934年に外交関係を開設。第2次世界大戦中に外交が断絶していた時期も有ったが、伝統的に友好関係にある。
 トゥパク・アマル革命運動(MRTA)が引き起こした在ペルー日本大使公邸占拠事件の際、サント・ドミンゴ市を訪問した高村外務政務次官に対し、フェルナンデス大統領が「国際社会に対する連帯の表明として、本事件の平和的解決協力を惜しまない」と述べ、「MRTAメンバー受入れの用意がある*1)」旨表明した事を記憶している人も多いだろう。
 2000年2月には、フェルナンデス大統領が日本を公式訪問し、政界のみならず財界の要人達と会談を行った。
 また、一般庶民の対日感情も押し並べて良好である。同国民の一部には、ややもするとある種の外国人に対し反感と嘲笑がないまぜとなった、やや屈折した反応を示す風潮が見受けられるが、そういった局面でも、相手が日本人だと判ると、とたんに好意を示す場合が多い*2)。これは、マスコミ報道等*3)で、日本が持つ高度なテクノロジーや国際社会に占めるポジション、圧倒的な経済力などが広く紹介されていることが一因であろうし、街中を走る自動車の7〜8割までが日本車*4)であるという事実、電化製品のうち高級なもののほとんどが日本製という事実などを目の当たりにしての結果でもあろう。
 なお、この良好な日本人観について言及するときに欠かせないのが、約40年前に移民として同国に渡ってきて現在さまざまな分野で活躍している日系人やその他の在留邦人の長年の努力とその結果築き上げられた信用である。実際、勤勉で誠実で優秀なこれら日本人のエピソードを幾人ものドミニカ人から直接聞いた事を明記しておきたい。

1) 同国は従来より政治亡命希望者の権利を尊重し、その受け入れに寛大な態度を取っている。
2) 但し、教育を重視してこなかった過去の歴史的背景から、日本と中国の区別がつかない国民も未だに多数存在する。
3) 新聞やニュースにおいて日本が登場する割合は決して低くない(例えば、国営テレビ(4Ch)では、「Video del Japón」と題する日本紹介番組を放映しており、視聴者は、最新テクノロジーから流行ファッション、市井の人々の生活ぶりなど、さまざまな日本のトピックスにふれることができる)。とはいえ、それは「他のアジア諸国に比べれば」の話であって、後述するが、日本が長年に亘って同国への最大の援助国であり続けている事実と照らし合わせた場合、それに見合った存在感があるとは到底言えない状況といえる。そもそも、被援助当事者と一部のインテリ層以外には、日本のODA実態はほとんど知られていない。従って、この件に関する、より広範囲な国民層へ向けた広報活動のさらなる展開が望まれよう。
4) 燃費面で優れ、故障が少なく乗り心地が良いと好評である。中でも、レクサスLS400シリーズ(日本名:セルシオ)やレクサスLX400シリーズ(日本名:ランド・クルーザー)などは名実ともに最高級車の一つと考えられている。
ところで、これは余談だが、街中では、爆音を発しながら走行するボロボロの乗合タクシー(Carro público)の脇を、メルセデス・ベンツ、BMW、ポルシェ、ジャガーといった非常に高価な、しかも最新型の欧州車が颯爽【さっそう】とすり抜けて行く姿を目にする機会も多い。低所得者は多いが、また高額所得者も決して少なくないのが、この国の現実なのだ。

援助  ドミニカ共和国の主要貿易相手国トップ3は、輸出に関して米国、オランダ、カナダ、輸入に関して米国、ヴェネズエラ、メキシコとなっており、やはり欧米州の存在は大きい訳であるが、「援助」に目を向けるとまた話は違ってくる。実のところ、日本は長年に亘り同国への最大の援助国であり続けているのだ。
 同国に対するODA*1)の一つとして、草の根無償資金協力がある。これは、平成元年度に総額3億円規模でスタートした制度で、開発途上国の地方公共団体、研究・医療機関、及び途上国において活動しているNGO*2)が実施する比較的小規模なプロジェクトへ迅速的確に対応し、草の根レベルに対する直接の援助効果を図るもので在外公館(同国においては、在ドミニカ共和国日本国大使館)が中心となって資金協力を実施するものだ。

  《 外務省・草の根無償予算額の推移 》
   外務省・草の根無償予算額の推移   

 次に、同国に対するODA実施の要、国際協力事業団ドミニカ共和国事務所の事業概要を以下に見て行こう。

  • 技術協力事業
    1. 研修員受入れ − 技術者行政官等を本邦に受け入れ、技術の研修、知識の付与等を行って、相手国の経済的、社会的発展に役立てるとともに、日本の産業、文化を紹介し、両国間の友好親善に資することを目的としている。
    2. 専門家派遣 − 日本から専門家シニア海外ボランティアを派遣し、相手国の政府機関で事業の計画立案、技術指導、助言等を行うことを目的としている。
    3. 機材供与 − 派遣された専門家、シニア海外ボランティア、協力隊員が技術移転を図る上で不可欠な機材や帰国した研修員が日本で習得した技術を帰国後も活用し得る機会を与えることにより技術移転を効果的に実施することを目的としている。
    4. プロジェクト方式技術協力 − 開発途上国における技術移転と人造りのため、3つの協力形態(日本人の専門家の現地派遣による技術指導、相手国関係技術者の日本研修受入による技術の習得、技術指導に必要な資材の供与)を主要な柱とし、各々を組合わせながら1つのプログラムとして統合して実施する事業である。
    5. 開発調査 − 経済発展に重要な役割を果たす産業基盤等の公共的開発計画について、調査団を派遣して調査を行い、開発計画を策定する事業である。
  • 無償資金協力事業 − 開発途上国が必要とする、経済社会の発展のための計画に必要な資機材、設備及び役務(技術)を調達するために必要な資材を贈与(返済義務を課さない)する事業であり、次のようなものがある。
    1. 食料増産援助 − 1985年度から開始された。
    2. 一般無償 − 1989年度から開始された。
    3. 水産無償 − 1992年度から開始された。
    4. その他、文化無償、災害援助*3)などがある。
  • 青年海外協力隊事業 − 同事業は、開発途上国の経済、社会の発展に協力する青年の海外協力活動を促進し、これを助長する事業である。同国に対する青年海外協力隊員の派遣は、1985年3月12日付協力隊派遣取極に基づき、1986年2月第一陣として4名の隊員が派遣されて以来継続して実施している。
    なお、同国における、協力隊員の職種は次の通りである(部門毎:順不同:1999年9月時点)。
    1. 農林水産部門 − 果樹、農業土木、獣医師、村落開発普及員、植林
    2. 加 工 部 門 − 陶磁器、オフセット
    3. 保守操作部門 − 電気機器、電気工事、電子機器、自動車整備
    4. 土木建築部門 − 配管
    5. 保健衛生部門 − 看護婦(士)、理学療法士、保母(父)、養護、栄養士
    6. 教育文化部門 − 司書、音楽、手工芸、婦人子供服、システムエンジニア、日本語教師、小学校教諭、幼稚園教諭、青少年活動、プログラムオフィサー
    7. スポーツ部門 − 体育、剣道
  • 海外移住事業
    1. 日系移住者数 − 同国への日本人移住は1956年(昭和31年)に始まった。1997年11月現在の日系移住者数は226家族、863名である(在ドミニカ共和国JICA事務所調べ)。
    2. 日系社会青年ボランティア事業(海外開発青年) − 1985年度に発足した海外開発青年(現日系社会青年ボランティア)については、1986年度に第2回生1名が第一陣として派遣されて以来継続して実施している。同国における現在までの青年ボランティアの職種は次の通りである(順不同)。
      電子機器、日本語教師、旅行代理店実務、自動車整備、団体事務、事務兼日本語教師。
    3. 営農普及 − 移住地での農業技術および営農改善を図るため、ドミニカ日系人農業経営研究会に対し、活動費の一部助成を行っている。また、移住者の営農改善及び技術向上を図るため、専門家を派遣している。さらに、中南米の農業先進地であるブラジルに移住者及び移住者子弟を農業研修生として派遣している。
    4. 教育 − 日本語学校の現地教師を指導するため、1993年11月から移住シニア専門家日系社会シニア・ボランティアがほぼ継続的に派遣されている。また、現地日本語教師に対する謝金の一部助成、日本語教師研修会の開催、教材の助成等を行っている。
    5. 移住者子弟研修 − 移住者子弟一般技術研修、移住者子弟上級技術研修、中堅移住者技術向上研修、現地日本語教師研修、社会福祉担当者研修、日本語学校生徒研修、汎米日本語教師合同研修会参加などを実施している。
    6. 医療衛生 − 移住者の医療援助のため、現地医師と特約契約を結んでいる。
    7. 施設整備 − 移住者の教育、生活環境、営農等の拡充強化を図るため、次のような施設の整備を行っている。灌漑用深井戸、共同乾燥場、学生寮、公民館など。
    8. 移住者融資 − 移住者が現地において事業を行うにあたって、現地金融機関からの資金調達が困難な場合が多いことから、融資事業を行っている。

 なお、同国において活動している日本のNGOとしては、日本国際飢餓対策機構(JIFH)*4)等がある。

《 日本の対ドミニカ共和国ODA実績 》 (支出純額、単位:百万ドル)

暦年 贈与
無償資金協力 技術協力
1991
    5.89( 41)  
    8.48( 58)  
   14.37( 99)  
1992
    8.21( 49)  
    8.09( 49)  
   16.30( 98)  
1993
   11.64( 74)  
    9.61( 61)  
   21.25(136)  
1994
    5.97( 57)  
   11.10(107)  
   17.07(164)  
1995
   15.31( 27)  
   12.95( 27)  
   28.26( 50)  
1996
   14.00( 70)  
    9.93( 50)  
   23.93(123)  
暦年 政府貸与
支出総額 支出純額
1991
       0.51 
  0.14(  1) 
1992
       0.70 
  0.31(  2) 
1993
       0.87 
 -5.62(-36) 
1994
       1.37 
 -6.64(-64) 
1995
      35.53 
 28.35( 50) 
1996
       3.05 
 -3.89(-23) 
 注:()内は、ODA合計に占める各形態の割合(%)

《 DAC諸国 *5)の対ドミニカ共和国ODA実績 》 (同上)

暦年 1位 2位 3位 4位 5位
1991
米国     18.0
日本     14.5
イタリア 13.9
ドイツ   11.1
ベルギー  1.8
1992
日本     16.6
ドイツ   12.9
イタリア 10.5
米国      3.0
スペイン  2.6
1993
日本     15.6
ドイツ   15.5
イタリア  9.7
フランス  3.8
オランダ  2.6
1994
日本     10.4
米国      6.0
イタリア  5.9
ドイツ    4.0
オランダ  2.3
1995
日本     56.6
英国     11.4
ドイツ    7.9
スペイン  7.7
イタリア  3.1

 
1) 政府開発援助(Official Development Assistance):次の3つ用件を柱とする公的援助のことである。(1)政府又は政府の実施機関によって供与される。(2)開発途上国の経済開発や福祉の向上に寄与することを主たる目的とする。(3)資金協力については、その供与条件が開発途上国にとって重い負担にならないようになっており、グラント・エレメント(援助条件の穏やかさを表示するための指標)が25パーセント以上のものをいう。無償資金協力、技術協力、国連諸機関・国際金融機関等への出資・拠出(以上「贈与」)及び政府貸付等で構成され、軍事目的のものは含まない。

《 日本のODA 》

日本のODA

2) 非政府組織(Non Governmental Organization):ここでは、政府の機関としてではなく、自主的、自発的活動を行う非営利の民間援助団体を指す。環境保護、災害援助、難民支援などがNGOの代表的な活動フィールドであるが、同国においてNGOが果たしてきた功績としては、(1)保健・衛生(2)文化振興(3)初等教育拡充(4)貧困層の生活状況改善等が挙げられる。
このところ国際機関のみならず行政府もNGOとの連携を重視する傾向にある。なお、NGOを自称する団体のなかには、資金源等のバック・グラウンドが不明瞭なものも有るため、連携対象として選考する際には充分な事前調査が不可欠となっている。
3) ハリケーン=ジョージの上陸後、同国は、被害発生後大統領府に緊急特別対策室を設置し、国防省、警察、市民防衛隊等が中心となって救援復旧活動を行うとともに、被害の大きさに鑑み、9月25日に国際社会に対して緊急援助を要請した。さらに、ハリケーン通過後の衛生状態悪化による感染症の発生が危惧され、この対策のため9月30日、在ドミニカ共和国日本国大使館を通じて我が国に対して国際緊急援助隊(医療チーム)の派遣を要請した。外務省は、これを受け、大蔵省との協議を経て、国際緊急援助隊医療チームの派遣を行った。 その際、日本から派遣された医師、看護婦、看護士らとともに、先にドミニカ赤十字社による救援活動(主に救援物資の分配作業)にボランティアとして参加していた者も含め、同国在住の青年海外協力隊員が通訳、診察補助、データ作成などの協力活動を行った。また、日本へ帰国済の同国派遣協力隊員OB・OG有志が「ドミニカ共和国支援チャリティパーティ」を実行するとともに、救援募金活動を展開し、後方からの支援活動を行った。
4) Japan International Food for the Hungry:キリスト教(プロテスタント)系の団体である。
5) 経済協力開発機構(OECD:Organization for Economic Cooperation and Development)内に設置された開発援助委員会(DAC:Development Assistance Committee)参加各国のこと。DACは、発展途上国への資金供与、経済成長への貢献、開発援助の増大を主な目的としている。現在のメンバーは、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、アイルランド、イタリア、日本、ルクセンブルグ、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、ポルトガル、スペイン、スウェーデン、スイス、英国、米国の21カ国とEC(欧州委員会)。本部はパリにある。
なお、1998年(暦年)におけるDAC諸国のODA実績総額(21ヶ国合計)は515億9,300万ドルで、前年の483億2,400万ドルに比べ6.8%増加した。日本のODA実績は106億8,300万ドル(昨年比14.2%増)であり、8年連続して世界第1位となった。


〔参考文献等(発行年度順)〕… 他ページ作成時に参照したものを含む

〈 文中敬称略 〉

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