当ページ最終更新日:2000.7.12 |
略史 |
1492年コロンブスがその初めての航海でエスパニョーラ島に到達*1)、スペイン領となる。
1795年フランス領、1822年ハイチによる占領を経て1844年独立、ペドロ・サンタアナが初代大統領に就任した。 しかし、その後もハイチの侵略が続き、1861年にはスペインに再占領されたが、1865年スペインが撤退、独立を回復した。 1916〜24年米国が占領。 1930年ラファエル・トゥルヒージョが大統領に就任、1960年ホアキン・バラゲル副大統領に大統領職を譲ったが、翌61年に暗殺されるまで事実上の独裁制を敷く。 1965年内戦に突入、米軍の介入を受けたが、国連および米州機構(OAS)の調停で統一暫定政権が成立。 1966〜78年、改革党のバラゲルが政権を担当。 1978年の大統領選でドミニカ革命党(PRD)のアントニオ・グスマンがバラゲルの4戦を阻み当選した。 バラゲルは1986年大統領選で返り咲き、1990、94年と連続3選を果たしたが、不正選挙との批判を浴び、国会は94年8月、大統領の連続再選禁止と現職の任期を96年8月までとする憲法改正案を可決。バラゲル政権は同月、通算22年で幕を閉じた。 1996年6月30日の大統領選挙決戦投票でドミニカ解放党(PLD)のレオネル・フェルナンデス・レイナが、バラゲルの支持を取り付け当選した。 2000年5月16日の大統領選挙でドミニカ革命党(PRD)のイポリト・メヒアが過半数近くの票を獲得し当選した。(この結果に至るまでの経緯は、下記「政治」欄を参照)
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人種 |
人種構成はムラート*1):73%、白人:16%、黒人:11% となっており、人々の膚の色は極めてバラエティに富んでいる。
このように混血が圧倒的に多い人種構成はプエルト・リコやキューバなど旧スペイン植民地に共通したもので、黒人の比率が高い旧フランス領や旧イギリス領であったカリブ海諸国の人種構成と比較すると際立った対照をみせている。 スペイン人の征服により、ルカヨ、タイノ、ガヨおよびカリベと呼ばれるインディヘナ*2)達は全て滅亡*3)し、替わりにアフリカより奴隷として黒人労働力を導入したため現在の人種比率となった。 人口は約805万人(1996年IMF)であり、首都サント・ドミンゴには、そのうち約250万人が居住している。 乗合バスの中で、座席乗客が立ち席の人の鞄を当然の事のように自分の膝に載せてあげるような心優しい風潮が未だ残っている。また、見知らぬ人にも笑顔を向け気軽に挨拶する屈託なき人々が多いなど、国民の多くは素朴かつ陽気である。その反面、忍従的な性質を持つとともに、一部には初対面の外国人への警戒感・不信感をあらわにする傾向も見受けられる。すでに述べた歴史的経緯のみならず、近・現代における同国の政治・宗教情勢が、これら国民性の形成に大きく影響を与えていると思料されるため、その辺の事情を後続の文章中でやや詳しく述べてゆきたい。 アジア系人種は上で示した統計上に表われないほど少数派であるものの、中国人はスーパー・マーケットやレストランなどの経営で財を成している者も多く目立つ存在と言える。なお、同国が中華民國と外交関係を結んでいる事からか、台湾系中国人の割合も比較的高いのが特徴となっている(とは言え、マジョリティはやはり広東省・福建省出身者等大陸系である)。また、ソナ・フランカ(Zona Franca:フリー・ゾーン)と呼ばれる経済特区に大韓民國の企業が進出しているのに伴い、韓国人ビジネスマンの活動ぶりも広く知れわたっている。さらに、海洋国家ゆえ外国船が頻繁に寄港するため、港湾地区付近の繁華街や歓楽街ではフィリピン人船員の集団を見掛ける事が多い。その他、レバノン人とシリア人を中心としたアラブ人も移住しており、政財界へ積極的に進出している。なお、日本人は、同国においては希少な存在と見られている。
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言語 |
公用語はスペイン語である。米国が地理的に近いうえ文化面でもその影響を強く受けているわりには、英語の普及率は総じて低い。官公庁や大学、外資系企業、高級ホテル、銀行、観光地など一部の場所を除くと(例えば小さな商店のみならず大規模なショッピング・センター内ですら)英語は通じない*1)と考えてよいだろう。従って、観光旅行など一時的な滞在なら問題無いのであるが、同国で日常生活を送るにはスペイン語の習得が必要である。
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気候 |
サント・ドミンゴ市を例にとると、亜熱帯海洋性気候のため年間を通じて最高気温は30℃以上、最低気温は20℃程度であり、年間平均気温は26℃である。
四季の区別は判然としないが、5月〜10月の間が最も暑く、特に直射日光は強い(とはいえ、そよ風が吹いている事が多く、無風状態が一日中続く真夏の東京などと比較すると日陰などでは涼しささえ感じる事も多い)。但し、一部のオフィスや高速バスの中では極端なまでに冷房を効かせているため、意外にもカーディガンやセーターは必需品である。 11月〜4月の間は日中の暑さに比し、夜間は若干温度が下がり、特に11月〜2月の間は日本の初秋を想わせ比較的凌ぎやすい*1)。 湿度は年間を通じ高く、平均80.4%である。5月〜6月及び9月〜11月は雨季であり、7月〜9月には時折ハリケーンが来襲する。1998年9月22日、約20年ぶりの規模といわれる超大型ハリケーン=ジョージが来襲し、激しい風雨に見舞われ各地で家屋の倒壊、送配電網の破壊、給配水網への被害、道路等インフラ及び通信網への被害を受けるとともに、農作物にも甚大な被害が出た事は記憶に新しい。 なお、山間部は盛夏にあっても涼しいところが多く、とりわけピコ・ドゥアルテ頂上付近では、冬になると氷柱【つらら】ができる程である。
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食事 |
主食は米(Arroz)と食用バナナ(Plátano)である。前者(長粒米)にはアビチュエラ(Habichuela:いんげん豆)を塩味で煮込んだ豆汁をかけて食するのが基本だ。このアビチュエラには、ネグラ(Negra:黒)、ブランカ(Blanca:白)、ロハ(Roja:赤)、ピンタ(Pinta:斑(まだら))などの種類がある。米を使った料理としては、他にとうもろこし混ぜご飯(Arroz con maíz)や豆入りご飯(Moro)などがある。Moroの材料となる豆は、アビチュエラの他にグァンドゥ(Guandú)がある。
なお、後者はバナナといっても、果物として生のまま食べるものとは種類が違い煮・揚げ等の調理用である。 副食は鳥(Pollo)肉料理(美味である)が主流となっているが、牛(Res)や豚(Cerdo)、子やぎ(Chivo)などの肉料理もポピュラーである。海洋国家の割には、今のところ魚(Pescado)料理の普及率は高くない。野菜(Vegetales)類に関しては、ブロッコリー(Bróculi)やカリフラワー(Coliflor)とともにキャベツ(Repollo)を煮たものや、なす(Berejena)の詰め物、塩味で煮たオクラ(Molondron)、レタス(Lechuga)とトマト(Tomate)に玉ねぎ(Cebolla)を添えた生野菜サラダ*1)等が一般的である。また、芋類はじゃがいも(Papa)、さつまいも(Batata)の他、ジュカ(Yuca:キャッサバ)、ニャーメ(Ñame:山芋)、ジャウティア(Yautía:里芋の一種)など種類は多い。このジャウティアには、ブランカ(Blanca:白)、アマリージャ(Amarilla:黄)、ココ(Coco:白と赤紫の斑)などの種類がある。根菜類としては、かぶ(Nabo)を煮て食べたりビート(Remolacha:紫色の砂糖大根(=甜菜【てんさい】))を薄く切りサラダに入れる他、にんじん(Zanahoria)は、肉やかぼちゃ(Calabaza又はAuyama)、食用バナナ、ジュカ、ジャウティアなどともに、当地の人気料理サンコーチョ(Sancocho:ラテン・アメリカ風シチュー)の材料となる。 デザートは果物が中心である。オレンジ(Naranja)*2)やパイナップル(Piña)、バナナ(Guineo)、パパイヤ(Lechosa)、マンゴー(Mango)、りんご(Manzana)、メロン(Melón)、みかん(Mandarina)、いちじく(Higo)などを食する。また、一般に野菜扱いであるが、アボカド(Aguacate)も人気がある。専ら生ジュース(Jugo natural)の材料となる果物としては、レモン(Limón)やグレープフルーツ(Toronja)、チノーラ(Chinola)、グァバ(Guayaba)、さくらんぼ(Cereza)、サポーテ(Zapote)などがあり、オレンジ又はレモンを加えたにんじんジュースやタマリンド(Tamarindo)という豆から作ったジュースもポピュラーである。また、街中では7ペソ(約50円)前後でココナッツ(Coco)を販売しており、その場で内部の水を飲んだり果肉を食べることができる。その他、グアナバナ(Guanabana:トゲバンレイシ)など日本では余り見かけない果物が豊富に出まわっている。 先に述べたように米が主食であるなど同国の食事は和食と共通する点も有り、日本人には親しみやすく美味しい。一方で、「量が多い」「油っぽい」「(ジュースや菓子類などは)過度に甘い*3)」といった感想を抱く在留邦人も多いようである。また、しょうが(Jengibre)を隠し味にした料理が若干有る以外は、辛料を使用する料理が皆無に等しく(香料*4)は普及している)、辛党にはやや物足りない面もある。 以上は、庶民が日常食べているものの解説であるが、街中やホテル内には、中華料理を始めとして、スペイン料理、イタリア料理、フランス料理、アラブ料理、韓国料理など世界各国のレストランがある他、同国系のポジョス・ビクトリーナ(Pollos Victorina)やポジョ・レイ(Pollo Rey)、米国系のマクドナルド(McDonal's)やケンタッキー・フライドチキン(Kentucky fried chicken)、バーガー・キング(Burger King)、ウェンディーズ(Wendy's)、ピザ・ハット(Pizza Hut)、ダンキン・ドーナッツ(Dunkin' Donuts)、タコ・ベル(Taco Bell)、サブ・ウェイ(Subway:サンドイッチ店)などのファースト・フード店もポピュラーである。また、同国系のエラドス・ボン(Helados Bon)や欧米系のサーティン・ワン(Baskin Robins 13)、ハーゲン・ダッツ(Häagen Dazs)、デイリー・クィーン(Dairy Queen)、ネッスル(Nestlé)、ヨーゲン・フルーツ(Yogen Früz)などといったアイスクリーム(Helado)販売店が数多く存在している。 日本食に関しては、専門レストランが2軒あるとともに、寿司や刺身、うどんなどを出す中華レストラン等も複数軒存在する。 なお、同国においては一日を通して3食のうち昼食(Almuerzo)がメインであり、朝食(Desayuno)はコーヒー(Café)*5)・牛乳(Leche)・生ジュースなどとともにハム入りサンドイッチ(Sandwich de jamón)やホットドッグ(Perro caliente又はHot dog)、煮た食用バナナや芋等の軽食を取る。夕食(Cena)もフィエスタ(Fiesta:パーティー)がない限り、スパゲッティ(Espaguetis)などであっさりと済ませる家庭が多い。 アルコール類に関しては、ロン(Ron:ラム酒)*6)の銘柄は豊富であり、それからピーニャ・コラーダ(Piña colada)*7)やクーバ・リブレ(Cuba libre)*8)など多彩なカクテルが作られる。また、何といっても、ビール(Cerveza)*9)の人気は高く、コルマド(Colmado)*10)等では、凍り付く寸前まで冷やしたビールを一気に喉に流し込んでいる人々を見掛ける事も多い。
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産業 |
サトウキビを中心にコーヒー、カカオ、たばこなどの栽培を主体とした農業とフェロニッケル、金・銀などの鉱業が主要産業であるが、近年、軽工業*1)や観光業*2)にも力を入れている。今のところ日本では余り知られていないが、コロンブス時代の遺跡や美しい浜辺・海岸、湖、大河、森・秘境、山間部の避暑地、3千m級の山岳地帯、サボテンの生い茂る砂漠など同国には多彩な観光スポットが存在する*3)。それだけではなく、ゴルフやウィンド・サーフィンの国際的な公式戦が行われるようなスポーツ・コースも揃っており、欧米人の間では、「カリブ海域のリゾート」と言えばドミニカ共和国が最もポピュラーな存在である。マイアミから約1時間50分、ニュー・ヨークから約3時間15分という交通の至便性*4)や、中米に位置する割には治安が良いことを考えあわせると、日本の多くの観光・旅行業者が同国を見逃している様は不思議ですらある。
また、建設業はGDP比で9.5%(1995年)を占める主要産業であり、道路(高架橋やトンネル等を含む)やビル、住宅の建設ラッシュが続いている。 さらに、商業は、GDP比で18.5%(1995年)を占め、製造業を上回り国内最大の産業となった。主な形態としては、卸売業者、スーパーマーケット、一般小売商*5)、コルマド(上記「食事」欄で既に述べた)などがある。
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経済 |
高い失業率、貧富の差の拡大が社会問題となっているものの、96年には中南米随一の成長率を達成するとともにインフレも収束するなど経済成長は順調に推移している。ここ数年来の急激な発展ぶりから、現在は一見ミニ・バブル状態にあるようにさえ見えるほどである。
さらに、同国は南北アメリカの中心部に位置し交通の便が良い事や、ある種の全方位外交を展開している事などから、対キューバ貿易等を狙ったビジネスマンが世界中から集結しており、街中は活況を呈している。 一方、物資が満ち溢れ近代的な都心部の風景とはうらはらに、住宅街はもとより主要オフィス街においてすら停電が頻発したり、地域によっては毎日のように給水制限が行われているなど、経済や社会活動の基盤となるインフラストラクチャーに多くの課題を抱えている他、料金が高い*1)ばかりで信頼性の低い*2)郵便制度や一電話会社が事実上シェアを独占しており、当該分野において競争原理が働かず、その結果問題の改善が先送りされている事からくる各種の弊害*3)が存在するなど通信分野でも早急な改善が求められている。
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政治 |
政体は「立憲共和制(大統領制民主主義)」である。現行憲法(1966年11月28日制定)は、ドミニカ共和国を三権分立の共和国と規定している。大統領・副大統領(同一政党)及び国会の上下両院議員などは、4年毎の5月16日に同時に行われる国民(18歳以上)の直接選挙により選出される。任期は4年である。
大統領は、国家元首であるとともに、行政府の首班であり任意に大臣を替え得る。また、三軍の最高司令官であり(統合幕僚会議及び陸・海・空各幕僚長が補佐する)、州知事任命権を持つ。国会の審議を経ずに公共投資を行える大統領特別会計に基づき多額の資本支出を行い得る。通常、党首として選挙の際に比例代表制による党下院議員候補と各州一人の党上院議員候補の選出を左右する。上院を通じ裁判所判事任命をも左右し得る。公務員の人事権も持つ。 このように、同国の大統領は非常に強大な権限を有しているため、政権交替がそのまま国家公務員や公団職員の交替につながりかねないという問題も指摘されている。 《 ドミニカ共和国の政体 》 ・PRESIDENTE ・VICEPRESIDENTE ・SECRETARIOS DE ESTADO ・DIRECTORES GENERALES ・PROCURADOR GENERAL DE LA REPUBLICA 行政(EJECUTIVO) /\ / \ / \ (LEGISLATIVO)立法―――――司法(JUDICIAL) ・SENADO ・CONSEJO NACIONAL DE LA MAGISTRA ・CAMARA DE DIPUTADOS ・SUPREMA CORTE DE JUSTICIA ・CORTE DE APELACION ・PRIMERA INSTANCIA ...2000年の5月に大統領選挙が行われた。有力候補者と目されたのは、ドミニカ革命党(PRD)のイポリト・メヒア*1)、ドミニカ解放党(PLD)のダニロ・メディナ*2)ならびにキリスト教社会改革党(PRSC)のホアキン・バラゲル*3)の3名であった。このうち、ホアキン・バラゲルは、上掲の「略史」に何度も登場している政治家と同一人物である。年齢はとうに90歳を越えているが、今なお同国カトリック教会に対し穏然たる影響力を持っているなど、何かと目を離せない存在*4)だ。 ところで、米国は輸出入相手国としてトップの座を占めるなど経済的結びつきは大きいにもかかわらず、過去に軍事力を伴った内政干渉を幾度も行い、その過程で多くのドミニカ人の命を奪った事から、同国民のアメリカ政府を見る眼は非常に厳しい。それゆえ、米国に対しはっきりと「ノー」を表明し続けるキューバの故チェ・ゲバラやカストロ首相の人気は高い*5)(但し、その人気は多分に心情的なものであり、キューバのような政治体制を望んでいる国民は少数派である。また、テレビ番組や映画、音楽、スポーツなど米国文化そのものの存在感は大きい)。これらの歴史的背景からか、同国民の政治への関心は相当高く、数年前から、事実上、大統領選は始まっていたとさえ言える状況であった。 さらに、上記主力政党の他、独立革命党(PRI)*6)やドミニカ労働党(PTD)*7)、労働共産党(PCT)*8)、マルクス・レーニン主義共産党(PCML)*9)、民主キスケジャーノ党(PQD)*10)、ドミニカ人民運動(MPD)*11)などといったミニ政党も20前後存在している。国家規模を考慮に入れると、この数字は決して小さいとは言えないが、これは、憲法上でも実際上でも言論や集会の自由が充分に保障されていることのみならず、同国が政党助成制度を設け政治結社等に対し様々な優遇措置(車輌購入時に掛かる税金の免除など)を与えていることなどにも起因していよう。
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宗教 |
住民の94%をカトリック教徒が占める旧教(Católico)国家である。国民の祝日としてクリスマスをはじめ「ラス・メルセデス聖母の日」などといった旧教由来のものが制定されているのみならず、政府の重要行事で公式ミサが執り行われる他、カトリック教会は税制面でも優遇されている。ところで、何らかの国内法で正式に認定されている訳ではないにもかかわらず、ローマ教皇と独裁者トゥルヒージョとの間で結ばれた政教条約(Concordato)が未だ有効と見なされているため、このように事実上国教となっており政治権力との結びつきが強いカトリック教会であるが、一部には、そのような風潮に反省を求める動き*1)もある。同国で活動している会派は、イエズス会(Jesuita)やフランシスコ修道会(Franciscano)、サレジオ会(Salesiano)、ベネディクト修道会(Benedictino)、ドミニコ会(Dominico)などである。現時点において同国カトリック界の頂点に立つのはニコラス・デ・ヘスース・ロペス・ロドリゲス(Nicolás de Jesús López Rodríguez)*2)である。
一方、新教(Protestante)は統計上少数派ではあるが、その活発な活動ぶりから、存在感は決して小さくない。主なものに聖霊降臨派(Pentecostales)や洗礼派(Bautistas)、再臨派(Adventistas)などがある。同国では、これら新教徒を福音派(Evangélico)と呼称しており、信者達は、タバコはもとよりアルコール類は一切口にせず、またディスコ・ダンス等を世俗的とみなし忌避する事で知られ、その点、一般に現世的ライフスタイルを好む同国カトリック教徒とは著しい対照をなしている。これは、聖書に記述された内容を文字通り信じ、世の終末やキリストの再臨を積極的に待ち望む彼らの姿勢*3)から来ているものと考えられる。なお、これらの特徴は、基本的に素直でかつ熱し易い同国人の性質と親和性を有しており、その結果、福音派のシェアは徐々に拡大する傾向にある。 また、隣国から出稼ぎにやってくるハイチ人(Haitiano)を中心にブードゥー教(Vodú)*4)が信仰されている他、日本の創価学会(SGI)*5)を始め、米国のモルモン教(Mormones)*6)やエホバの証人(Testigos de Jehová)、バラ十字会(Rosa Cruz)*7)、ボストン運動(Boston Movement)*8)、プエルト・リコのミタ教会(Iglesia de Mita en Aarón)、韓国の統一教会(Iglesia de la Unificación)*9)、インドのサイ・ババ(Sai Baba)*10)やハレー・クリシュナ(Hare Krishna)*11)などといった東西の諸宗教が上陸している。
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教育 |
保育園(Maternal):3〜5歳児が対象)は私立のものが多数ある。幼稚園(Kinder:5〜6歳児が対象)は公・私立ともあり、就学前教育(Pre-Primaria:1年教育)は私立のみ存在している。
初等教育(公立:Escuela、私立:Colegio)は8年間(義務教育)であり、6年間のNivel primarioと2年間のIntermedioに分かれている。中等教育(高等学校相当)は4年間となっており、Secundarioと呼ばれる。高等学校には普通科高校(公立:Bachillerato、私立:Colegio)の他、技術専門学校(Escuela Técnica)、商業〔実業〕高校(Bachillerato Comercial)、各種技術専門学校(5年、Politécnico)、師範学校(Escuela Normal)などがある。 大学は全国に32校*1)あり、そのうち国立大学としては、サント・ドミンゴ自治大学(UASD)*2)がある。その他は全て私立大学で、主なものとしては、ペドロ・エンリケ・ウレーニャ大学(UNPHU)*3)、カトリカ・マドレ・イ・マエストラ大学(PUCMM)*4)、サント・ドミンゴ工科大学(INTEC)*5)および東部中央大学*6)などがある。またAPEC大学(UNAPEC)*7)は市民のイニシアティブで設立された高等教育機関として著名である。 さらに、工作機械、自動車整備、パン製造、服飾、電気・電子機器、情報処理、木工(家具製造)、ホテル・観光業など各種の職業にかかる技術の提供を目的とした学校を運営する職業技術訓練庁(INFOTEP)*8)がある。 同国における教育事情の顕著な特徴の一つとして、国内外のNGO(NGOに関しては後述)が、大学をはじめ、さまざまな分野に関する学校や教育機関を運営し、成果を収めている事があげられよう。 民衆の間に英語は普及していないといった事情を先に書いたが、知識階層に的を絞れば、英語の「読み」「書き」「話し」ともこなせる人の割合は高く、高学歴を誇る結構なインテリでも英語を話す段になると尻込みしてしまう人の多い日本と比較すると興味深い。但し、都市部と農村部、富裕層と貧困層とでは教育レベルに相当な開きがあり、当国における諸問題の根源に「教育」が存在するのは明らかであるが、その背景には、行政の場において「教育」の優先度がまだまだ低い、という事情が存在する。 なお、同国には日系人および在留邦人子弟への教育をそれぞれ目的とする日本語学校と補習授業校*9)が設置されている。
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文化 |
ドミニカ共和国といえば、ダンスが盛んである事で知られ、とりわけメレンゲ(Merenge)*1)発祥の地として世界的に有名だ。また、地方都市では、バチャータと呼ばれる踊りがポピュラーである。この"Bachata"、西和辞典を引くと「どんちゃん騒ぎ、お祭り騒ぎ」などといった意味が記載されているものの、軽快なリズムの中に哀愁が漂う、甘美な舞曲が多い。
また、ディスコ(Discoteca)では、キューバ発祥のサルサ(Salsa)を楽しむこともできる。 このように、ダンス及びその音楽は生活に密着した存在*2)であり、同国文化の中核をなすもの*3)と言える。 さらに、若年層を中心にラテン系のロック・ミュージックやアメリカン・ポップス、ブリティッシュ・ロックが好まれている他、幅広い年齢層に中南米やスペインの歌手によるバラードやボレロが愛聴されている。クラシック音楽愛好家は、今のところ知識人など一部に限られているが、徐々にファン層の裾野は広がりつつある。 スポーツに関しては、何といっても野球が盛んであり、米国や日本のプロ野球におけるドミニカ人選手の活躍ぶりを見てもその片鱗はうかがえようが、同国の野球レベルは相当高い。このため、米国大リーグチームの多くが当国内に野球学校を作り、若手選手の発掘を行っている。日本の広島東洋カープもサン・ペドロ・デ・マコリス市郊外の広大な敷地内に野球アカデミーを開校しており、有望選手の育成を図っている。 なお、都市部では地上波のみならずケーブル網が発達しており、テレビ鑑賞は最も身近な娯楽の一つといえる。音楽・スポーツ・政治対談・科学/技術紹介番組等の他、テレノベラ(Telenovela)*4)と呼ばれるジャンルも人気である。 また、ドミニカ近代絵画、造形美術が国際的評価を得ているのは、同国民の美的センスの良さを十分に裏付けるものだ。そういった風土があるからこそ、世界的にその名を知られるデザイナー、オスカー・デ・ラ・レンタ(Oscar de la Renta)など、芸術分野の人材が輩出されるわけである。
<ボカ・チカ・リゾートホテル・ビーチサイド・ディスコ内の様子> |
外交 |
1934年に外交関係を開設。第2次世界大戦中に外交が断絶していた時期も有ったが、伝統的に友好関係にある。
トゥパク・アマル革命運動(MRTA)が引き起こした在ペルー日本大使公邸占拠事件の際、サント・ドミンゴ市を訪問した高村外務政務次官に対し、フェルナンデス大統領が「国際社会に対する連帯の表明として、本事件の平和的解決協力を惜しまない」と述べ、「MRTAメンバー受入れの用意がある*1)」旨表明した事を記憶している人も多いだろう。 2000年2月には、フェルナンデス大統領が日本を公式訪問し、政界のみならず財界の要人達と会談を行った。 また、一般庶民の対日感情も押し並べて良好である。同国民の一部には、ややもするとある種の外国人に対し反感と嘲笑がないまぜとなった、やや屈折した反応を示す風潮が見受けられるが、そういった局面でも、相手が日本人だと判ると、とたんに好意を示す場合が多い*2)。これは、マスコミ報道等*3)で、日本が持つ高度なテクノロジーや国際社会に占めるポジション、圧倒的な経済力などが広く紹介されていることが一因であろうし、街中を走る自動車の7〜8割までが日本車*4)であるという事実、電化製品のうち高級なもののほとんどが日本製という事実などを目の当たりにしての結果でもあろう。 なお、この良好な日本人観について言及するときに欠かせないのが、約40年前に移民として同国に渡ってきて現在さまざまな分野で活躍している日系人やその他の在留邦人の長年の努力とその結果築き上げられた信用である。実際、勤勉で誠実で優秀なこれら日本人のエピソードを幾人ものドミニカ人から直接聞いた事を明記しておきたい。
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援助 |
ドミニカ共和国の主要貿易相手国トップ3は、輸出に関して米国、オランダ、カナダ、輸入に関して米国、ヴェネズエラ、メキシコとなっており、やはり欧米州の存在は大きい訳であるが、「援助」に目を向けるとまた話は違ってくる。実のところ、日本は長年に亘り同国への最大の援助国であり続けているのだ。 同国に対するODA*1)の一つとして、草の根無償資金協力がある。これは、平成元年度に総額3億円規模でスタートした制度で、開発途上国の地方公共団体、研究・医療機関、及び途上国において活動しているNGO*2)が実施する比較的小規模なプロジェクトへ迅速的確に対応し、草の根レベルに対する直接の援助効果を図るもので在外公館(同国においては、在ドミニカ共和国日本国大使館)が中心となって資金協力を実施するものだ。 《 外務省・草の根無償予算額の推移 》 次に、同国に対するODA実施の要、国際協力事業団/ドミニカ共和国事務所の事業概要を以下に見て行こう。
なお、同国において活動している日本のNGOとしては、日本国際飢餓対策機構(JIFH)*4)等がある。
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〈 文中敬称略 〉 |