POCO A POCO
第1号 99年3月1日

      ドミニカ共和国 埜口 香代子

☆合い言葉は『POCO A POCO』
 『POCO A POCO』とは、スペイン語で“少しずつ、徐々に”という意味です。2年間この地で活動するにあたって1番大切なことだと思い、「よしっ、これをタイトルにしよう」と決めました。日本とはあまりにも何もかもが違う国です。歴史、文化、習慣・・・。ここで日本と同じように生活することはできません。焦らずゆっくりと生活を楽しむことが良い活動ができるコツのようです。

☆協力隊との出会い
 そんなにかしこまって書くほどのものではないのですが、今の自分があるのには、いろいろなことがあったわけです。市役所北別館内の国際交流課で、OBかつJICA推進員の山下亜樹さんに紹介されなければ違う形でボランティ活動をしていたかもしれない。感謝、感謝です。今まで教壇に立ち、生徒を相手に悪戦苦闘の毎日で「何か違う」といつもどこかで感じていたわけでそれが何か具体的にはわからなかったのです。でも『協力隊』に出会ったことで、それまでモヤモヤしていたものが、少しずつ晴れてきたような気がします。
 願書提出から合格まで自分でも「よくやった」って思うくらい、努力したつもりです。合格までの過程の中で何度もきっとダメだと思っていましたから・・・。何とかかんとかここまで来れたので「きっとここで何かすべき使命がある」と正義感に燃えていたわけです。
 「ダメでもともと」と思ったけど、その気になれば何でもできるもんだと痛感しました。
 今までこれといってパッとしたことがなかったが、この年になって初めて「自分の人生を大きく変えるかもしれない」ことに出会ったのだから、このチャンスを大事にしたい。

☆派遣前訓練(駒ヶ根訓練所)・・・9月8日〜11月25日
 これは話せば長ーくなるくらい本当にいろんなことがありましたよ。今思えばたったの79日間、でもこの短い時間に私が得たものは何ものにも代え難い大切な宝物になりました。いろんな経験をしました。中学、高校に戻ったような生活でした。規則あり、もちろん門限も。語学の授業は1日5時間、これは大変辛かった。でも、後半はたくさんの友達に励まされ何とか頑張りきることができました。講座もいろいろと興味深いものばかりでしたが、時々睡魔との闘いでした。各講座でのレポート提出はイヤでしたが・・・。
 毎週あったのが、注射。何本打たれたかな?狂犬病、破傷風、ポリオ、A型肝炎、B型肝炎、黄熱病など訓練所を出る頃には薬漬けの体になっていた。注射のせいで体調を崩した人も少なくなかった。スポーツ大会、野外訓練、所外活動など楽しい行事もあった。友達と夜中の3時に起きて、寒さに打ち震えながら見た獅子座の流星群には目を奪われた。あんな大きな流れ星、もう2度とみれないかも・・・。なんといっても多くの友達ができたことは、私にとって大きな収穫だ。親友と呼べる友達も2人できた。彼女らはサモア、ニジェールでそれぞれ活動している。彼女らについてはまた今度改めて書きましょう。他にバングラデシュ、スリ・ランカ、ネパール、モロッコ、コスタリカ、メキシコ、ホンジュラス、フィジー、ミクロネシア、マーシャル諸島、パラオ、トンガ、ソロモン諸島、パプアニューギニア、セネガル、コートジボアール、ガーナ、ニカラグア、エル・サルヴァドル、ガテマラなど多くの国で活動しています。友達が世界中で頑張っていると思うと、元気が出ます。時々、いろんな国から手紙が来ます。読むととても嬉しくなります。2年後の再会が待ち遠しいです。

☆そして出発!・・・行ってきます
 訓練所を出て出発まで、本当に時間がなかった。事務手続きや荷物整理でかなり時間をとられた。たった2年間と思うのだが、かなりの荷物。32Kgのスーツケース2つと、15Kgのリュック・・・どうやって運ぶんだろうと人ごとのように考えていましたが何とかなるもんですね。ちゃんと挨拶ができなかった人が何人かいるので、それが残念です。
 でも、何と言っても心残りなのは、家族のことです。父と母、弟たちに「ありがとう」と一言、言いたかった。もっとしっかり話をしたかった。家族にとても感謝しています。「協力隊の試験を受けたい」と言ったとき、「きっと反対しても無駄だろうし、今しかできないことだろうからしっかり頑張ってきなさい」と気持ちよく送り出してくれました。きっと心配はしているだろうけど、こんなに家族が協力的なんて私は本当に恵まれています。
 東京での補完研修から知り合って、駒ヶ根でも一緒だったニジェール派遣予定のSさんは訓練を終え、出発直前に家族の反対を押し切れず出発を断念しました。出発当日、彼女は涙を流しながら私たちを見送ってくれました。彼女の分まで頑張りたい。実際の出発は12月8日、成田発シアトル経由ニューヨーク行のJALなのだが、集合時間が朝8:00と早かったので、前日から東京に行かねばならず、福岡は7日に出発した。多くの人々の期待を背負って私はドミニカに飛び立ったのでした。これから私の珍道中が始まります。乞うご期待!

☆私の活動内容
 私が2年間何をするかというと、知らない人の方が多いでしょうね。日本では中学校で社会科を教えていたわけですが、ここドミニカでは「手工芸」という全くの畑違いの職種であります。社会科教師などという職種はないわけですが、他に何か技術があればよいということで、この職種に決めたわけです。私はドミニカ共和国の首都、サントドミンゴにある養護学校に「障害児への指導と共に現地職員への技術的アドバイス並びに新しいデザイン等の紹介」という要請内容で配属されます。障害児ということで、主に「リハビリ訓練」になるような作品づくりを考えているのですが、実際の活動内容は次号で紹介します。でも私の配属先である「Asociacion Dominicana de Rehabilitacion」(ドミニカリハビリテーション協会)は全国に17支部を持つかなり大きなNGO団体で、本部はサントドミンゴにあり、医学的リハビリテーション、職業的リハビリテーション、地域リハビリテーション、そして特殊教育(養護学校)という4つの分野があります。ここは10年ほど前から協力隊の受け入れをしているようで、協力隊に対してかなり理解があるようです。

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